これは私のお舅さんの話です。 お舅さんは、ある国家資格を持ち自分で治療院を行っていました。始めは賃貸の店舗から始めて、固定客がついたところで自分の治療を持つことに。聞いた話によると、物件のリフォームや治療器具などの導入でここでかなり大きな借金をしたのですね。自営業ならではですが、初期費用や運転資金などさまざまな諸経費が掛かります。そのため、借金はかさむばかりでした。 色々な要素を検討して、売り上げを増やすにはもっと利便性が良いところで治療を行うべきだという結果に至り、なんと借金を返すために2軒目の治療院を作ることにしたのです。 経営を知らない私は、借金を返すために2軒目を作るということが全く理解できず、それだと借金が増えるだけなのでは?と思いました。しかし、お舅の考えは的中しましたね。低予算で2軒目を作ることに。治療器具などはリースをしたり、いろいろなことを模索して立ち上げたのです。そして1軒目は他の人に任せ、自分自身が2軒目を盛り上げることに徹しました。それから時間はかかりましたが、次第に経営も上向きとなり借金を返済することができたのです。 今は亡くなってしまったお舅ですが、もともと自営業の家計であり、もしかすると野心とノウハウはあったのかもしれませんね。それに加えて、自分自身で国家資格を持つこと、2軒目を作るという戦略が成功して、苦労はあったけれど借金返済をすることができたのだと思います。
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借金ある方におススメの仕事
女性で借金があると水商売など夜の仕事などで時給の高い収入を得る方法もありますが、もっともお酒が飲めない人や安全に働きたい、世間体的にも水商売は嫌だという人もいます。また男性でも、建設業や長距離ドライバーなどは時給が高いものの体力勝負で、力仕事をやってこなかった人がいきなり入るには仕事に付いていけない場合もあります。 自分経験した中でおすすめ出来るのが、学歴や資格や経験がなくても、やる気と元気があれば、年齢が50代でも採用してもらえる機会がある、工場の期間工や派遣工です。 期間従業員や派遣社員は正社員ではないですが、正社員と同じ時給で働ける上に、手当も充実しています。 私はとにかく貯金をしたくて大手の自動車会社の部品工場に期間従業員として入りましたが、1年で250万円のペースで本当に効率的に貯金できました。 工場の期間従業員や派遣社員さんの中には借金を返済したくて、来る方もとても多いです。自分が入社したときの同期の男性は、株やFXなどをして30代半ばで借金が数百万単位である方でしたが、1年で150万くらいのペースで返済出来ていると話していました。 借金の返済におススメな理由が、まず遠くから通う場合、無料で入れる会社の寮があったり家賃が無料だったりする点です。 また水道・ガス・電気代も、町内会費も無料だったり、月に光熱費合わせて1万円等、格安の定額で生活できるのです。 なので借金のある同期の男性は、ほとんど食堂利用での食費と、日々の生活の雑費を少し払うだけで生活できると話していました。工場によりますが満了金や入社祝い金というボーナスもあり月に手取り35〜40万くらい稼げて、その大部分を貯金にまわせていて借金返済を頑張っていた方がいるので、困ってるひとにおすすめしたいと思い投稿させて頂きました。自分は女ですが、昨今社会問題化している女性の貧困にともなってパパ活で疲弊したり危険な思いをして最悪体を売るという選択肢をしなくても、借金は返せたり他にも働く選択肢はあるということをアドバイスしたいです。
知人からの借金でトラブル
最初は気軽にジュース代や食事代を貸してもらっていて、きちんと返していたので友人からも特に何か文句を言われることもありませんでした。そんな中で冠婚葬祭が立て続きにあるタイミングがあり、手持ちがなくなってしまって困ったので光熱費の支払いのために友人からお金を借りることにしました。その友人は日ごろからお金に対しては困っている様子はなかったので、ちょっとくらいなら1ヶ月以内に返済したら良いかなという、気軽な気持ちで借りてしまったのがトラブルにつながった原因です。1ヶ月経過することについうっかりお金を借りていたことを忘れてしまい、飲みに行くタイミングがありました。その時にお金を借りた友人も参加していて、その時は何も言われませんでしたが後日他の友人からお金を貸してくれた友人が、人にお金を返さないままで飲みに行くなんて信じられないと怒っていたと聞かされました。本当にしまったと思ったし、なんで借りていたことを忘れていたんだともう反省し自分の忘れっぽさ嫌になりました。その後は事情を話して親から返済に必要な金額をどうにか貸してもらって、友人に平謝りでお金を返しました。それからは私の評判も悪くなってしまい、お金にルーズなタイプだと思われてしまうようになりました。自業自得なことというのは間違いありませんが、本当に反省しているので許してもらいたい限りです。やはり友人にお金は借りるべきではないと身をもって感じました。
結婚直後に起きた同時多発不運
僕が体験した借金は結婚直後に起きました。新婚生活ってなんだか新鮮な気持ちで、毎日彼女の顔が見れて、毎日楽しいものだと僕はイメージしておりました。 しかし、こういった過度な期待を膨らませているとだいたいいいことに恵まれないものです。 僕は30歳のときに5つ上の彼女と結婚、現在は結婚生活6年目を迎え、2人の子供にも恵まれてそこそこの暮らしをさせていただいてます。 今では普通に幸せに過ごせているんですが、結婚したての頃はそれはもう不運の連続で、速攻で離婚を考えたくらいでして。。。 きっかけは、嫁の借金でした。彼女に借金があると知ったのが、婚姻届けを出した当日の夕飯でした。 「話したいことがあるからちょっといい?」と言われテーブルに座ると、彼女のポケットから無数のハガキが出されました。 なんか悪い事したのかなぁと思いながらテーブルに広がったハガキを見てみると、彼女宛に送られた消費者金融からの催促状とクレジットカードの請求書でした。 その金額合わせて『250万円』でした。(うち消費者金融は4社分で220万円) 「隠しててすみません!」なんて言われても衝撃的過ぎて、言葉が出ず、食べてたアイスが水になっていることにも気がつかなかったです。 さらに追い打ちをかけるの如く、「お母さんにも借金をしていて。。。」なんて言うものですから、思わず「婚姻届け出してから、後出しじゃんけんのように言いやがって」と強い口調で彼女に怒鳴ってしまいました。(親への借金80万円ほど) 彼女は昔から浪費癖がひどいらしく、欲しいと決めたら借金までしてしまう人でした。 結果的には、副業などして借金や支払いはすべて完済したのですが、婚姻届けを出す前に相談が欲しかったです。
見通しの甘さから招いた借金と返済
大学の卒業旅行に行くために、友人2人から借金したことが始まりでした。
新卒で入社する会社が決まっていたので、取り急ぎ借金をしてでも友人たちと卒業する前の後の思い出作りをしようという判断です。
入社する予定の会社は当時、著しい成長を遂げていたため、何の不安もなく数か月も仕事をすればすぐに返済できるという考えを持っていました。
ところが、入社して数か月すると、不規則な勤務シフト、長時間の勤務、仕事の密度の濃さから、子どもの頃に患っていた喘息を再発させてしまうことになります。
24時間体制の職場であったため、喘息の治療や予防をしながら勤務を続けることが困難となり、やむを得ず入社から5か月で退職する運びとなりました。
学生最後の友人からの借金は残っていましたが、これ以上返済を先延ばしにするのは、信頼関係を傷つけることになるため、その時点で一旦返済をすることに決めました。
借金を返済したとはいえ、職を失い、喘息の不安とも向き合わなければならない状況は、その後の生活を難しいものとしました。
収入がないため、食費を極端に減らし、時には一日何も食べずに過ごすことさえありました。
栄養が不足していたことは明白で、次第に体調がさらに悪化し始めました。
そこで、これ以上悪化させるわけにはいかないと思い、多少の食費がかかっても栄養だけは不足しないよう、方針を転換することにしました。
食費を削れない以上、生活費がさらに苦しくなり、当時始めたアルバイトだけでは生活が厳しく、ついに消費者金融から融資を受けることに決めました。
一社に借りては、返済するために別の会社から新たに融資を受けることを繰り返し、借金は膨れ上がりました。
3社目から融資を受け、最終的には一社目で借りた額の4倍まで返済額が増えてしまいました。
さすがにこれ以上、額を増やすわけにはいかず、当時お付き合いをしていた彼女や友人の協力を得て、時間をかけずに早めに返済することを決心します。
工場勤務で地道に働き、給料が出たら大部分を返済に充てるという月日を過ごしました。
体調管理をしなければなりませんので、食費や治療費に使う以外は、無駄遣いができない日々です。
自分で蒔いた種ですから、もう不満を言うわけにもいきません。
一心不乱に仕事に打ち込み、その結果、半年ほど経過した頃、ようやく消費者金融からの融資額を全額返済することができました。
若いがゆえの勢いもありましたが、当初の自分の見通しの甘さと想定外の病気の再発は、その後の人生設計を考えさせるものとなりました。
そして、厳しい時期を乗り越えられたのは、周りの人たちの助けです。
何十年も経過した今もそのことを忘れてはならないし、何かあれば逆の立場で人を助けられる人間でいよう、そして、何よりも健康が大事だと痛感させられる出来事でした。
それ以来、体調は徹底的に管理するようになり、二度と同じ失敗を繰り返すまいと誓いました。
親への借金
私の友人の話です。
友人は、大学受験で、希望しない学科を、滑り止めとして、受けてしまいました。
そして、残念な事に、そこしか受からずに、その大学に行く事になってしまいました。
案の定、大学の授業内容は興味がないもので、大変に、つまらない毎日になりました。
そして、このまま、あと、4年近くもいられないと、早くもその一年生の夏休みで、退学をする事に決めてしまいました。
友人の家は、裕福ではなく、両親がやっとな思いで、大学の費用を捻出した事を、本人はよく分かっていました。
友人は、中退した大学の入学金と、授業料を、自身の借金と考えて、親に返すつもりでいました。
秋になり、友人は、すぐに仕事を探し、そして猛烈に働き始めました。
そして、半年程経った、冬のある日の事です。
改めて、親を前にして、自分の半年働いて貯めたお金を前に差し出し、「大学を途中で辞めて本当に、すみませんでした。半年貯めてまだ、入学金と、授業料の半分も返せませんが、どうか、これを受け取って下さい。」
と言って、頭を下げたそうです。
両親は、それを見て、前に置かれたお金を受け取らずに、「これは、次に行きたい学校が見つかったら、その時に使いなさい。まだ、若いのだから、勉強したいものが有れば、学校に行って勉強した方がいいよ。お金は、そういう時にこそ、使うものだからね。まだまだ、行かなかった大学の分の学費分は、貯金であるんだからね。」そう言って、笑ったそうです。それから、再度、受験をし直して、希望の学校を卒業しました。
疎遠になった叔父
母方の兄貴ですが、いつまで経っても結婚せず仕事と趣味の釣りやゴルフをしながらふらふらしていました。当時は東証一部の大手企業の倉庫で働いていたようで、日勤のほかに夜勤もあり、実家に行っても日中に寝ていることもあり祖母から僕や妹に「叔父を起こしてはダメだよ。仕事があるから寝かせてあげてね。」と言われたこともありましたが、目が覚めるといつにニコニとしながら将棋をしたり遊んでくれたことを覚えています。やがて、僕たちも大きくなるにつれて母の実家に行く機会が減っていったのですが、そんな中であるウワサが母や母の姉のもとに届いたそうです。それが、「叔父に彼女が出来たが、かなりの借金を背負った」との事でした。「どこから?借りた金額は?」など最初はわからなかったのですが、消費者金融から借りていたことが分かりました。そんな中、我が家に一本の電話がかかってきました。消費者金融から母あての電話です。たまたま電話に出た父が「そんな人はいません」と言いましたが、叔父は相談もなく自分の兄弟を勝手に連帯保証人にしているのです。母親たち兄弟が実家に集まり、叔父に自己破産を申請するように説得したのですが、説得の甲斐もなく母は実家から帰ってきました。また、会社にも同様の電話があったそうで、会社を退職したと聞きました。それから叔父は知人のところでヒモのような暮らしをしていると聞きましたが、あれから20年ほど会っていません。消費者金融の問題は他人事だと思っていたのですが、たった一度の過ちで自分や親戚中の人生にも影響があり改めて借金の怖さを実感しました。
株主優待を狙ったら
株をやり始めた頃の事。
まだ、株をやる様な人が周りにおらず、話を聞く事も出来ませんでした。唯一、母親に話をすると、「信用取引だけはするな」との事で、はてさて、信用取引とは!?という感じでした。これが、良かったのだと、後でわかります。
初めは、少ない資金で、株主優待銘柄を買って、喜んでいました。ですが、株主優待を銘柄として持っていると、なかなか、売買する事が出来なくなります。株を売ってしまえば、株主優待は、もらえなくなってしまうからです。
株主優待銘柄をそのままにして、株を買って、毎日動かすということ楽しさが、分かってくると、自分でも怖いくらいに、金銭の感覚が麻痺してきます。
数万円マイナスになっても、大した事がない様な感覚に陥ってくるのです。また、割安と思い込み、持っている銘柄を買い足し(ナンピン)そのまま、ズルズルと下がり続けて、損が膨らむなど、まるでギャンブルにはまり込んだ様になってしまいました。
当然、借金をしてまでに、なっていきます。
明細書があまりにもマイナスが高額になり、やっと、自分がどうしようもない感じになっている事を知ります。
株は、確定申告などをすれば、年度にわたって、マイナスを相殺していけるチャンスは、ありますが、私の場合は、さらにさらにマイナスという事も、考えられましたので、一時期は、すっぱりと、辞めました。
借金は、少しずつ、返しました。
今は、ニーサで持っている範囲に留めて、当時の様な買い方は、しない様にしています。
借金での困りごとと、現状と未来
私は昔からギャンブルが好きでした。特にパチスロが好きで、初日に先輩に誘われて行った時に20万以上勝ってそこから簡単にお金が手に入るものだと思ってしまい、中毒に。そこから数ヶ月でその日に勝ったお金、定期預金を全て使い果たし、絶望しました。アルバイトはしていたので借金し、そのお金でまた勝つ!とか、取り返す!という感じで費やし、借金は膨らみました。また、その借金でパチスロをうつ為でもありますが、そのときは実家に定期預金を使用していない事を揉み消す役割としても借金していました。しかし、勝つときもありましたが当然結果的に負け続け、仕事はしていますが返しきれず、両親に話をして、完済。そのお金を返していく日々がしばらく続きました。その時仕事で知り合った女性がいて付き合い、アパートで同棲していたのですが結婚も結婚式もすることになり貯金はギャンブルをしなくなったのでできましたが、それを契機に一軒家の購入するときに、借金をしていた過去の為、1年くらい?かと思うが購入できない期間がありました。また、そのとき、購入できない理由が借金の履歴の為、当時はなかったが借金をしていた過去を知られ迷惑かけました。今は子供も家も持ち、親にも返す事ができ幸せですが、情けない自分をやり直したいがそうもいかないのでそれを取り返す気持ちで仕事をしているのと、今後子供にそうさせない気持ちでいっぱいです。住宅土地のローンはともかく、消費者金融へのローン、借金はこりごりです。
友達がプロミスで借りた話
僕の友達は、プロミスでお金を借りました。高校を中退していてそこからお金も無いままかなり辛い人生を歩んでいます。中退した後は、たまに会う機会もありましたが仕事の話をしてもあんまり反応がなく聞いてもバイトでなんとかやりくりをしていますがバイトも辞めたりしてなかなか仕事が長続きしないですし正社員になれません。今では、同級生の間では、生きてるのかどうしてるのか謎に包まれたままです。とにかくわかるのは、お金がなく着る服もボロボロでいつ同じジャージを着ているということだけです。昔は、仲が良かったのですが今では、疎遠になりました。正直言ってこの問題は、自己責任なのかなと思います。お金がないのと仕事がないのは、どうにもできません。プロミスに行っても話を聞くのみで仕事を探してくれる場所では、ないのでお金と仕事は、自分でどうにかするしかありません。今の時代は、仕事は、いくらでもあるので少し稼ぐのは、難しくは、ないと思います。発想力と行動力の問題だと思うので本人がどこかで変わることができればお金持ちになれる可能性もあります。プロミスにお金を借りて返し終わったのかもわかりませんがお金がないため親とも関係性が悪いようで家にいても追い出されたりしてしまうそうです。悲しい現実だと思いますが中々どうにもできません。他人には、何もできないのでただただ話を聞いてアドバイスするのみです。お金を通して色んなことが知れた気がします。
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