大学の卒業旅行に行くために、友人2人から借金したことが始まりでした。

新卒で入社する会社が決まっていたので、取り急ぎ借金をしてでも友人たちと卒業する前の後の思い出作りをしようという判断です。

入社する予定の会社は当時、著しい成長を遂げていたため、何の不安もなく数か月も仕事をすればすぐに返済できるという考えを持っていました。

ところが、入社して数か月すると、不規則な勤務シフト、長時間の勤務、仕事の密度の濃さから、子どもの頃に患っていた喘息を再発させてしまうことになります。

24時間体制の職場であったため、喘息の治療や予防をしながら勤務を続けることが困難となり、やむを得ず入社から5か月で退職する運びとなりました。

学生最後の友人からの借金は残っていましたが、これ以上返済を先延ばしにするのは、信頼関係を傷つけることになるため、その時点で一旦返済をすることに決めました。

借金を返済したとはいえ、職を失い、喘息の不安とも向き合わなければならない状況は、その後の生活を難しいものとしました。

収入がないため、食費を極端に減らし、時には一日何も食べずに過ごすことさえありました。

栄養が不足していたことは明白で、次第に体調がさらに悪化し始めました。

そこで、これ以上悪化させるわけにはいかないと思い、多少の食費がかかっても栄養だけは不足しないよう、方針を転換することにしました。

食費を削れない以上、生活費がさらに苦しくなり、当時始めたアルバイトだけでは生活が厳しく、ついに消費者金融から融資を受けることに決めました。

一社に借りては、返済するために別の会社から新たに融資を受けることを繰り返し、借金は膨れ上がりました。

3社目から融資を受け、最終的には一社目で借りた額の4倍まで返済額が増えてしまいました。

さすがにこれ以上、額を増やすわけにはいかず、当時お付き合いをしていた彼女や友人の協力を得て、時間をかけずに早めに返済することを決心します。

工場勤務で地道に働き、給料が出たら大部分を返済に充てるという月日を過ごしました。

体調管理をしなければなりませんので、食費や治療費に使う以外は、無駄遣いができない日々です。

自分で蒔いた種ですから、もう不満を言うわけにもいきません。

一心不乱に仕事に打ち込み、その結果、半年ほど経過した頃、ようやく消費者金融からの融資額を全額返済することができました。

若いがゆえの勢いもありましたが、当初の自分の見通しの甘さと想定外の病気の再発は、その後の人生設計を考えさせるものとなりました。

そして、厳しい時期を乗り越えられたのは、周りの人たちの助けです。

何十年も経過した今もそのことを忘れてはならないし、何かあれば逆の立場で人を助けられる人間でいよう、そして、何よりも健康が大事だと痛感させられる出来事でした。

それ以来、体調は徹底的に管理するようになり、二度と同じ失敗を繰り返すまいと誓いました。